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最高裁判事を「半分入れ替える」という手もあります

週末恒例の「秀逸なるコラム」です。
今週は、弁護士 升永英俊氏のコラムです。

先生のお名前をご存知無いかたも多いと思いますが、青色発光ダイオード(LED)の発明対価をめぐる訴訟代理人となって巨額の発明対価(その後、和解)を認めさせたことで一躍世にその名を知らしめた凄腕弁護士です。
その「知的所有権の大家」が日本の民主主義の発展に弁護士らしい観点で意見を述べております。

誠に持って真っ当なご意見ですが、一つ言わせて戴ければ、「先生のような高名で有能な弁護士が先頭に立って、違憲訴訟を提起すれば、裁判所も"いい加減な判決"など出せないのでは?」との考えを持っております。
あまり(全然)お金にならない裁判はやりたくないのかな?との穿った見方(笑)までしてしまいそうです。
カルフォルニアを始めとするカルトワインへの造詣も深く、富豪弁護士でもありますが、このあたりで
皮でなく、名を残す仕事」をなさって戴くことを切に願っております。

一票の格差をなくし、日本を民主主義国家に変える「簡単な方法」

米国で弁護士修業をしていた時代、最も驚いたことの一つは、大統領が指名した最高裁判事候補を議会が承認するかどうかを巡り、その候補がかかわった判決の内容や、保守かリベラルかなどの情報をマスコミが国民に向けて大量に流し続けることだった。
最近も、スーター判事がオバマ大統領に辞意を伝えたニュースは、新聞の1面を飾り、後任が注目されている。

米国民が大きな関心を寄せるのは、最高裁が憲法違反を理由として法律を無効にできる強大な権限を持つことをよく知っているからだ。
米連邦最高裁は1964年、黒人が多く住む選挙区の1票と白人が多く住む選挙区の1票に格差を設けていたアラバマ州の選挙法を、違憲、無効とした。

この判決で、米国人は、白人か黒人かや、どこに住んでいるかを問わず、一人一票の選挙権を得た。
判決に“People, not land or trees or pastures,vote.”(投票するのは、土地でも木でも牧草地でもなく、人々である)という一文がある。
私は、この一文に感動した。
独立戦争を経て民主主義を勝ち取った米国ですら、一票の格差の問題を立法ではなく、司法が解決した。
この事実は、司法が果たさなければならない重い使命を雄弁に物語っている。
アラバマ州と日本の選挙法を単純に同一視はできないが、日本には、一票の格差の問題が今もある。

一つには、違憲立法審査権を持つ最高裁が、公職選挙法を違憲、無効としないからだ。

衆院選では、ある地方の有権者が1人あたり1票の価値のある選挙権を持つのに、ある都市の有権者は1人あたり1票に満たない価値の選挙権しか持たない事態が生じている。

議論を単純化して、日本の人口を100人、うち地方が45人、都市は55人としよう。
地方の有権者は1人1票、都市は1人0.8票を持つとする。
すると地方は計45票、都市は計44票になる。
1票が1人の国会議員を意味し、議員総数を89人とすると、地方住民は45人の議員を、都市住民は44人の議員を選出することになる。
つまり、全有権者の過半数に達しない地方の有権者が選んだ議員が、国会で多数を占めることになる。

国会での多数決は、有権者のレベルでは「少数決」だということになる。

民主主義とは、有権者のレベルでの多数決で立法され、日本では首相が決まることである。とすると、有権者レベルの少数決で立法をし、行政府の長(首相)を決定している日本は、民主主義国家ではない。

最高裁の国民審査が「魔法の鍵」になる

しかし、ここで日本を民主主義国家に変える「簡単な方法」がある。

有権者の過半数は、1票に満たない選挙権しか与えられていない。
にもかかわらず、その多くは、総選挙と同時に行われる最高裁裁判官の国民審査の際、「一票の格差は合憲」と考える裁判官に不信任票を投じていない

これは、「合理的な人間は、自己の利益に反する判断をしない」という命題に反している。

この摩訶不思議な現実は、有権者が、審査対象の各裁判官が一票の格差について合憲派、違憲派のどちらなのか、という情報を知らないまま、国民審査権を形だけ行使してきたことによって生じたものだ。
各裁判官の立場を知った上で国民審査権を行使しよう、という機運が広がることが必要だ。

筆者は先日、近くのコーヒー店の女性店員3名に話を聞いた。3名とも都民で、衆院選に行った経験があった。
「選挙の時、最高裁国民審査の紙に何か書いたことがありますか」と聞くと、3名とも答えは「いいえ」であり、国民審査が何かを知らなかった。
「あなたの選挙権が0.8票の価値しかないと知っていましたか?」との問いには、全員が「知らなかった。ひどい」と答えた。
「都民の選挙権は一人0.8票でも違憲ではない、と最高裁が判決したとします。
A判事は、判決に賛成した合憲派。B判事は、反対した違憲派です。
国民審査ではどうしますか?」と尋ねると、3名とも「A判事に不信任の印をつけます」と回答した。
筆者は、最後に、「先ほどは、都民は0.8票と言いましたが、実際は、衆院議員1名を選出する高知3区と東京6区の有権者の数には、1対2以上の差があります」と説明した。

有権者の意見を知れば裁判官も変わりうる

選挙に行く有権者は、選挙権が重要だと知っている。
自分の選挙権の価値が0.8票と知れば、他人から説得されなくても、A判事を支持しないだろう。

いずれにせよ選挙に行くのだから、そのついでにA判事に不信任の投票をする可能性は高い。
問題点に気づいた各有権者が、同じインタビューを他の3人に行うという輪が次々と広がっていけば、この試みは成功する。

国民審査の結果、「合憲派」と「違憲派」に有意な差が出れば、それまで「合憲派」だった判事が意見を変えることも十分あり得る。
有権者は、「一人一票」の問題につき、それぞれの裁判官が判決の中でどのような意見を示しているか、例えば、今度の国民審査の対象になるであろう裁判官のうち、涌井裁判官那須裁判官は、07年の最高裁判決で合憲との意見だった、ということを知った上で、国民審査権を行使すべきである。

そうすれば、最高裁裁判官は、有権者の意見が何かを直接知ったうえで「一人一票」の問題を判断できるはずだ。
国民の有する国民審査権は、選挙権と並ぶ国民の重要な権利である。
そして、国民審査権に「一票の格差」はない。

2009年の日本では、人口の過半を占める都市の人が、地方の人より不利益を被っている。
1964年の米国では、不利益を強いられる黒人が、人口比11%のマイノリティーだったことを考えると、一票の格差をなくす点では、いまの日本の方が、45年前の米国よりはるかに容易なはずだ。
0.8人前の日本人と、一人前の日本人がいるのではない。
皆、「一人一票」の同じ一人前の日本人である。

日本人は今度の衆院選から、国民審査権を初めて意識的に行使することによって、日本を民主主義国家にするという歴史の一頁を開くことができる。現在の日本と将来の日本のために。



皆さん!少なくとも涌井と那須は☓です。


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