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自分が「どう見られているか」を気にする日本人

週末恒例の「秀逸なるコラム」。
本日は、ソフトブレーン 宋さんの「論長論短」です。
題して「人は比較に頼る」。
周囲と比較して自己を計る。
その滑稽さと、「本質」はどこにあるかを考えさせられました。

神が人々を幸せにするために、天界から降りてきました。
失明した人は神に「私は、愛する家族の顔も綺麗な夕日も見たことがありません」と訴えました。
神が彼に視力を与えると、彼は幸せになりました。

「私は凍土の上でも炎天下でも労働を厭いませんが、働くための土地が洪水で流されました」と訴えた農民に神は農地を与えました。
農民は幸せになりました。

貧乏な青年がやって来て言いました。
「神様、私にはお金がなく家族も持てません」と。
神は彼にお金と美しい妻、可愛い子供を与えましたが、青年は暗い顔で「神様、私には才能もありません」とさらに訴えました。すると神は彼に才能も与えました。

数日後、青年はまたやってきてとうとう言いました。
「神様、私には幸せがありません。ください」と。
神は少々躊躇された後、「(幸せを)与えよう」と言って、これまでに与えたすべてのものを取り消しました。
その結果、青年は一人ぼっちのホームレスになり、飢餓と悲しみと孤独に暮れる日々を送ることになりました。

2年後、神は青年に家族だけを返しました。
すると青年は「私は幸せだ!」と号泣しながら妻と子供を抱きしめました。・・・・・・

以上の言い伝えは小さい頃に大人達から聞いた話ですが、年を重ねるたびにこ
れを思い出し、その都度異なる感想を見出してきました。

人は不幸に思うことがあって当然です。
しかし、人が不幸に思うことは100%自分のせいです。
年収600万円の人は年収1000万円の人を羨む。
1000万円になると3000万円の人を羨む。
3000万円になると1億円の人を羨む。年収1億円になると資産10億円の人を羨む。
資産10億円になると100億円、100億円になっても1兆円の人もいることに気付きます。

「俺はそんな貪欲じゃないから大丈夫」と思う方が多いかもしれませんが、お金の話はあくまでも例えです。
出世、持ち物、住まい、名誉・・・人が欲しがるものはお金だけではありません。
欲しいだけならまたいいですが、いくら欲しいか自分も分からないから困ってしまいます。
だから人は人と比較するのです。
年収600万円の人が周辺を見回しても他の人が皆500万円以下であれば、きっと幸せになれるのです。

人の最大な弱みは比較に頼ることです。
比較しないと価値が分かりません。
スーパーの売り場でたくさん人が溜まっているところについつい人が寄ってしまい、欲しくもないものを買ってしまいます。皆に「良い」と言われることに自分だけが「悪い」となかなか言えません。
これらの群れる行為は全部比較に頼る結果です。

人の上に行きたいことは比較の結果です。人と同じようになりたいことも比較の結果です。
どちらも自分が決めていないので切りがありません。
いつまでも心の平和が得られないのです。

現代社会はなぜこれだけ物質的に豊かなのに人々は少しも幸せになれないか。
答えはこの比較心理です。
人類は比較を使って進歩してきましたが、その行き過ぎて無駄な働きを増やし、地球と自分の心に過剰な負荷をかけているのです。

「不況」は素晴らしい「先生」です。
「人が買うから買うのではない。人が売るから売るのではない。
3年前の状況が本当は良かった。売上げは毎年伸びる決まりがない」。
こんなことを教えてくれるのは「不況先生」だけです。

私も例外ではありませんが、ついつい比較してしまいます。
これを克服しないと真の幸福がないと思う今日この頃です。


自分自身の「価値観」を持つことが、いかに大切かは「気弱な地上げ屋」も感じるところがあります。

ご感想があるかたは、来週宋さんにお会いしますので、お届けします。






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コメント

チャイニーズパワー

ろーりんぐそばっと様
コメントありがとうございます。
チャイニーズのパワーたるや、日本人は、とても敵わないと思います。
驚いたのは、アフリカにもチャイナタウンがあることです。
ご存知でしたか(笑)。

Re: 『自己』はと

SAM16様
コメントありがとうございます。
「気にしない少数の云々」は、承知(笑)しています。
仰せのとおり、「能動的に考える」ことが欠けています。
劣勢かもしれませんが、「能動的に考えて」行動しましょうね。
明治維新も最初は5人の志士から始まったとも言われています。
頑張りましょう!

知りたいのは
中国人は世界中で中華街を作れるのに
日本人はあってもリトルトーキョー程度
というところ、かな。

『自己』はと

幸か不幸か、私は「どう見られているか」を気にしない(少数派の)人ですか(苦笑)、
このブログを読んで、今必要なこととして、「どう見られているか」ではなく「どう見るか」が最も必要な時では無いだろうかと思いました。

この言葉、聞いたことのある様なフレーズと感じませんか?
そうです。
昔、ケネディの大統領就任演説です。
国民に、今必要なのは、「国が(国民に)何をできるかではなく、(国民が)国に何が出来るかを考えて欲しい」と言った言葉を思い出しました。
能動的に物事を考える、出来れば、より本気で積極的に考えると、比較する必要も無くなるのではないでしょうか。

昔、視聴率40%以上のTV番組のプロデューサーと話をした時、とても同調しましたが、
視聴率20%代の番組のプロデューサー数人と話をした時、まるで噛み合いませんでした。
その理由は、40%の人は、常に時代の前(近未来)を見て考え、時代を引っ張っている。片や20%代の人達は、40%の番組を追いかけいてる。これが噛み合わない結論でした。
20%代のP達はそれなりに頑張っているのでしょうが、不平不満ばかり言ってます。逆に40%の人から不平不満は聞こえません。

今の様な、大きく時代その物が変化をしている時だからこそ、閉塞感の強い世の中だからこそ、私も、今年と来年は「反省期」の年だと思っています。
そうは言いながらも、人間生きているのですから、ネガティブに、自分で信念を持ち、常に時代感覚を踏まえながら、自分自身のオリジナリティを持つことが、大事だと思っています。
そこには当然比較も出て来ますが、出来ればその先にある「比較のない考え」に到達する必要があるのではないでしょうか。ブルーオーシャンの考えも《その先》の到達点の一つでももある訳です。

もしかすると、私の場合は、良くも悪くも、大都会生まれなので、文化・経済的に比較対象が少ない(比較して前にいると、比較していることにすら気にならない)環境で育ったことが原因で、こんな事を言っているのかも知れないと、自己診断しています。

因みに、国外に行った時などは、その国の通貨価値観を知る為に、ます、大卒男子の給料、デパートの女店員の給料を調べます。
よくTVで、現地の品物を日本円に直すと幾らで、安いの高いのと言っていますが、それは愚の骨頂で、先ずは価値観を基準に考えるべき事です。状況によって基準が違うのです、
比較も必要な時があります。
しかしながら、それに自分が振り回されるのではなく、自分の価値観として、どう活用するかでしょう。

政治も同様です。
ニュースを聞いて「どう見られるか」の次元が風潮としてみんなと同じ、マスコミの(垂れ流しでも、情報操作でも)言っている通り、自分もコピーのようにしゃべると、「どう見られるか」と言う目線では、「世間から見て違和感がない」と思われたい、そちらの方が知識がある、と納得している気がします。
本当は「どう見るか」が一番大事なのですが・・・
『自己』を如何に捉えるかが一番大切だと思うのですが・・・

しかし、マニュアル化が進行している世の中で、利己主義が横行している世の中、中々実行するのは難しい話です。
まして『自己』はと考えると、とても難しい問題です。

宋さんのプログに追記がありました。

恥ずかしいと感じた時、それは運命があなたを磨いている時。
寂しいと感じた時、それは運命があなたに期待している時。
貧しいと感じた時、それは運命があなたを豊かにしている時。
進歩を感じた時、それは運命があなたを奨励している時。
小さな友よ、信じよう、誰かがあなたとずっと一緒にいることを。

本当に素晴らしい言葉です。

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